昨日書いた「ロミジュリ」の大切なところを間違えた。

 

マーキュシオがティボルトに殺されて、最後に一人残るのはベンブーリオでした。

今日、頼んでおいたCDがフランスから届いた。残念ながら私のお気に入りなティボルトのソロが二曲とも入ってなかった。トム・ロスさんっていうロックバンドのリーダーもしておられる方が演じられてるけど、あるブログでも非の打ちどころがないって評してあった。私もそう思う。楽曲はどこを切っても残念なので、一枚に収めるためには仕方なかったかな。

なんか、副題に「ヴェローナの子供たち」とあるとかないとか・・・。

ロミジュリっていう概念を打ち破ってるから、当然な気がする。

フランス版は、「憎しみ合う」っていうのがどういうことなのか。レイプを思わすダンスもいっぱいだし、こういうことなんだ、と思った。今の世界で、故郷を追われたり、憎しみ合っている人達もそうなのかもしれない、と,昨日も書いたけど想像できた。

よくないのに・・・安田純平さんはいつ救出されるんだろう。

中東でまた酷いことが起きている。世界中だけど。

日本も気を引き締めないと。

 

名曲と言われるもの以外の場面、細部にリアリティがあって、端役の誰もが手を抜いてない。役者さんだけでなく、製作者側が妥協しないってとても大切なんだな、と思えた。これは、ミュージカルだけにいえることじゃないな、気を引き締めないと。ここでもそう思えた。

「エメ」の乳母と神父さんだけが寄り添う結婚式の合唱とダンスの女性は下着をほぼつけてない。他、もろもろ日本ではあり得ない思い切った舞台作り。

 

「決闘」の場面が最大の山場かな。だから、ティボルトのソロだけじゃなく、二人の初夜の「ひばりの歌声」までなかった・・・。すごくいいメロディなので、惜しいな。ロミオが、旅立つ前で二度と帰って来られない、そういう打ちひしがれた、まるで「レクイエム」のような、一番ちっぽけで悲しい「ひばりの歌声」だった・・・。

二人だけが、この世から捨てられて、暗闇に閉ざされてるみたいな場面だった。満ちた巨大なバックの月が、物語る永遠の「さようなら」。

 

羽鳥モーニングショーで誰かが言ってたけど、物でも人でも失ったら自分が不安定になってしまう。そういう対象に「愛」という名前がついてるって。

そうかもしれないと思った。

 

玄関にピンクちゃんを飾った。

山の小さな水たまりに沢がにが二匹住み着いている。沢がにも「イノシシ」のせいか、めっきりみなくなりました。

地面に出てたのも一枚置いていきます。

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沢がにくんは、可愛い顔をしている。

 

沢がにや小さきハサミで吾を睨む

 

争いは弱きを潰しなを収まらず

 

権力という魔もの広がる秋の世や

 

金なくば争い絶えず神の下

 

「君」という誰かに会いたし星月夜

 

忘れたる月夜の思い出吾に帰れ

 

カワセミの青に急かるる思いあり

 

ただ見るは君の行方や月の影