ロミオとジュリエット

大変お久しぶりになってしまった。

夏は深夜、エアコンを強くするとようやく一息ついて、ブログを書く、ってことができたけど、昼間暑く夜寒くとなったらできなくなってしまった。

 

もう数年前になるけど、先生から宝塚の「ロミオとジュリエット」のDVDを頂いていたところ、しまいこんでてみてなかった。

この頃、色んな物の整理をしてたら出て来たので「おおっ」と思ってやっと観た。

 

今までの・・・たとえば映画の、とか、ロミジュリを下地に作ったといわれる「ウェストサイド」とか、音楽はいいけど、私は好きになれなかった・・・が!今回の元はフランスのロックミュージカルという「ロミオとジュリエット」はまぁすごかった。

 

単なる恋愛じゃなくて、あれは群像劇なんだ・・・それも、ティボルトの悲しみ、最後にひとり残されるマーキュシオの悲しみ、べンブーリオの悲しみ。

 

「憎しみの地に生まれてしまった」というティボルトのソロはすばらしく、ISや他のテロリストにまで思いの及ぶ、ミュージカルだと思う。

 

宝塚で少し感じたそういう感情を初演のフランス版を観て、いっそう感じた。一個も喜びのない、悲しいばかりのジュリエットをセシリア・カラ(当時17歳)が好演。

 

ティボルトを兄のように慕い、ティボルトも本当はジュリエットを愛し、彼女だけを心の支えにしていた、という解釈はとても自然で、ティボルトの苦悩をいっそう表していた。そのティボルトをロミオが殺し、それでもロミオを慕う彼女に親たちがパリスとの結婚を迫る、半狂乱になって神父のところへ駈け込んでいくジュリエットは、実に可哀想だった。

 

「憎しみ」というキャピュレットとモンターギュの女主人二人の歌。男たちはなぜ気づかない。一人、こんなでは良い夜明けなど来るはずがない、と未来を恐れ、友人や自分の「死」を恐れ、「僕は怖い」とジュリエットと出会う前にすでに歌うロミオ。フランス版の全編を操る「死」の女性も凄みがあった。

憎しみとは「死」なんだと思う。容赦ない解釈は重いけれど現実味がある。

現在のフランスで、少年たちの抗争がパリのあちこちで起り、この間はとうとう12歳の少年が殺されたという。あんなすばらしい「ロミジュリ」が生まれた地で、と思うと。。。

今年から来年にかけて、日本では再再演されるらしいが、日本版は残念ながら、歌もダンスも感情移入を邪魔するレベルでしかないと思える。

 

初版のオリジナルメンバーが今の所一番な気がしている。

 

デビッド・プレスギュルビックさんという作詞作曲の方にとても興味が湧いた。フランスの情報があまり入ってこないので。でも、ものすごくいい。こんな感動的な舞台は、オペラのグレベローヴァのヴィオレッタ「椿姫」以来。宝塚版は、エンターテーメントとしてわかり易いが、フランス版は、それだけでは片付かない、芸術点が高い、って感じ。言葉の壁は、ある程度あるけど、あんまり関係ない。いい作品というのは、、、特にミュージカルのような、歌、ダンス、と、セリフ以外の表現方法のあるものは、かなりわかる気がした。まぁ、宝塚版を観てるせいもあるけど。宝塚版は「死」と「愛」とが交差するが、「愛」は必要ないと思えた。説明のし過ぎはしなさすぎより良くないな。

脚本もいいし、音楽が半端なく、すごい!フランス版良いです!

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先生にお礼を言わないと!!!

 

私は、そこまで読み解けなかったが、父が「シェイクスピアは宇宙の魂」と言っていた。あの時代の女性は、今どころじゃない人格権がなかったと思われるけど、シェイクスピアの書きたかったことの片りんがわかった気がした。

 

昨日、アサギマダラが来た。9月に見たけど写真は撮れなかった。山には色とりどりのきのこ。

貯水池にはカワセミが姿を見せる。かもしかも一度見たけど、写真は撮れなかった。

 

色々置いていきまする。

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 まひるさえ月の香りの漂える

 

ただ在るになぜこうも月が輝くや

 

旅行くと想えぬ舞よ秋の蝶

 

月ロミオ火星ジュリエット離れ行く

 

カワセミが鋭く啼きて秋裂ける

 

言の葉も枯れちりぢりに落ち行くか

 

憧れしただ君ゆえの星月夜

 

白黄色一面に咲ける花野かな

 

呼び合うも悲しきは秋の音ゆえか