ヤマトシジミ

ウスバシロチョウまでは順調に撮れたけど、それから・・・そうだ。アオバセセリも撮れましたが、そこから今年はおかしかった。ベニシジミはいるものの、シジミチョウがなかなかいない。一度ツバメシジミをウスバを撮った頃見つけて、今年はヤマトシジミの羽表のきれいなのを撮りたい、と思ったけど・・・ああ、今日まで観ることもできなかった。ヤマトシジミ、オス、と思う。

 

海外ニュース、アメリカで農薬が一杯の所で働いてた方が悪性リンパ腫になられ、裁判で勝訴された、というのを観てハッとした。母も、農薬でやられたのかもしれなかった。兄と私を父母共、時間を惜しみ働き学校に行かせてくれた。母の額に汗ならぬ「塩」の吹いていたのが忘れられない。きっと、病気は農薬のせい。体の頑健な人だったから、もっと生きられたはず、と思ったらすごく残念だった。「ありがとう」と亡くなる前、死ぬのがわかってたみたいに会う人毎に言っていた。「楽しかったねぇ」と言ったら「楽しかったなぁ、楽しかった」と。私は何もできなかったけど、一日でいいから母より生きないと、と思っていた。兄だけでなく私まで、となったらあんまり可哀想。父を渾身の力で見送った母。すぐに兄まで逝ってしまった。「明日の夜は飲み会だ」と書いてたけどその「明日」の来なかった兄。朝霧の中自転車で遠くへ去っていく姿が心に浮かぶ。官僚だった兄。今生きてたら何と言うだろう。あと、仕事のことは私たちにはわからなかったから言わなかったけど、あんなに本省へ戻りたがっていた訳がようやくわかった今年だった。政治家とぶつかったのでもう進路は絶たれたと伴侶は言っていた。伴侶は「ノンキャリ」だが役人だったので、正しかったのかもしれない。でも兄はまだ信じていたフシがある。ただ、もしか、という想いも抱いてたと思う、経済か法律の専門家になりたいとも書いていた。その方が兄には合っていた気がする。「どこから突っ込まれても今の自分は負けない自信がある」と書いていた。これからだったのに、残念でたまらない。兄は本当に無念だったと思う。「北朝鮮を含めた六か国協議が始まる。世界は前進している」これがブログ最後に書かれた言葉。こう書き残し明日を信じ早朝サイクリングに出かけたまま。

あれから母は「お前を一人にするとあかんで」と2016年まで頑張ってくれた。まだ、生きられたと思える。「朝が来た。お腹が空いた」あと、やえこさんの心配をしてたらしい。私が聞けたのはそれだけ。苦しんだ跡はなかった、と聞いた。本当だといい。知性の長けた人ではなかったけど、どこか感受性の鋭い所と優しい所、努力の人。善人だった。自分の親ながらすごいなぁ。私が亡くなる少し前キツイ事を言ったのが堪えたんじゃないか、と思われてならない。母ちゃんごめんね。感謝ばかりです。

 お盆なので窓の外、夜になると灯りがいつもよりずっと多いです。

 

中本道代さんから詩集を頂きました。まだ文字の読み書きはできず、涼しくなったら拝読させていただきます。最初、ぶどうの香りがしてくるお作から始まっていて。ああ、秋だな、と思いました。

 

朝霧や自転車こぎて消えし兄

 

盆の夜ウオマイで遊ぶわれの猫

 

万緑疲れ枯れ行く気配見せ

 

盆の家夜のともしび御霊の灯

 

断ち切るはこれかと思うラベンダー

 

わが背に蛇入る夢や助けなく

 

悪夢見てめざめし夏の朝ひえる

 

鯉かなし干からびた沼に身を埋め

 

シジミ蝶ようよう現る夏の果

 

秋陰りシジミ羽表見せざりき

 

遠雷の鳴るる雲間の厳しき陽

 

皆おりぬ温もり感ず盆の魂

 

欲言えば笑い顔にて出逢いたし

 

踊り子の道に溢れてこその阿波

 

浮浪児と呼びたる人らも根浮浪児

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