車上狙い

今日は、となりの駐車場の車の窓が割られていた、という怖い事があった。そこから一番近いのが私の部屋なので、いやだなと思った。

 

ここのところ、風邪気味。

今日は歯医者さんへ行ってきた。

 

フンコロガシが山にて、あんまりキレイだったのでびっくり。

あと、マユタテアカネかマイコアカネか顔が見えなかったのでわからないけど、去年まではいっぱいいたアカネがやっと見れた。

それに、いつもならよく見かけた「なんだ・・・」と思う、ウラギンシジミのメスもいて、うれしかった。

 

午後、急にすごい雨が降ってびっくりした。台風が近づいてるみたい。

 

色々写真に撮ったので、置いていこう。

そうだ、サギもいた。少なくなった水面に影が映ってきれい。

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夜見上ぐ群青の空雲涼し

 

オニヤンマ空の青さが謎めきぬ

 

うら悲し年寄は去れ秋の声

 

花火独り見ゆ年寄り共に暮らしたし

 

朝夕の涼しさにわれ風邪ひきぬ

 

八月の日照る葉静かに窓の外

 

めずらしき蜂の巣木の実秋の森

今日は一日曇っていた。

暑さは凪いだけど、湿気があったり、朝方冷えて咳き込んだり。

そろそろバジャマを変えた方がいいかな、と思っている

 

山を散歩してると、昔のことを色々思い出す。

両親や祖父や兄の入っている仏壇は、父が若い頃手作りしたもの。

実はもう一人いる。

箪笥屋の小僧をしてたので、何でも作った。組の役をしていたときに、一年で七つも葬式だ出来て、その時は棺桶まで作ったそうだ。父の葬儀の際、葬儀屋さんが仏壇の事を言い始めたので兄と私がほぼ一緒に「あれが一番やで」と言った。そういう所は、本当によく似ていたと思う。あの仏壇は宝物。

まだ、祖父しか入ってなかった頃、兄がその中に「光」という父の字で書いてある紙を見つけた。あの「光」って何?と聞いたような記憶。誰に聞いたんだろう。母のようだった気がするけど。

私の下に子供ができたけど、流産してしまい、父が可哀想だと思って女の子でも男の子でもいいように「光」と名付けたそうだ。

母が兄が亡くなった時、「お前の為にも、もう一人産んでおけばよかった」と言っていた。光ちゃんが生まれてたら私もうれしかった。今、やっとお母ちゃんに会えたかな。

 

色々不安にもなるけど、どこかで皆が笑っていてくれるといいと思う。

光ちゃんも一緒に。良い名前だと思うよ。至らぬ姉ちゃんは。私がお姉ちゃんだったら、心配させる姉ちゃんになっただろうな・・・・・・。

 

昨日、十六夜の月を撮ろう、と外へ出たけど、まだ、南に傾きすぎてて上手く撮れなかった。暑かったしな。

 

今日はヤマトシジミのメスとオスが一緒にいた。

あと、昨日山道でハート型の木の実を見つけた。びっくり!

 

今日は曇ってるけど、夜、この窓から見上げると、強い光の赤い星が一つ見える。

 

正岡子規

真砂なる数ある星のその中にわれに向かいて光る星あり、

を思い出す。

子規も、つらかったんだろうな、と思う。

その星は撮れなかったけど、火星がまだ光ってて撮った。

色々置いていきます。

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望月にするどく光る星ひとつ

満月

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今夜が満月みたい。

火星に気を取られてて、月のすぐ下に火星が来るのが28日というニュースを読んでから、満月が28日と思い込んでしまった。

ここのところ暑さがぶり返して、夜も外へ行ってないので。

いつだったか、この部屋の窓から深夜見たら夜霧が出てた。なのに、空に一つ、赤く光る星があって、不思議だった。

今から外へ出てもなぁ。まぁ、出られないから。明日にでも十六夜の月を見るつもり。

 

今夜のロクマン。

沖縄特集だった。沖縄沖縄した曲が多いのかな、と思ってたら、何だか涼しげな(実際に音が涼しいわけじゃないけど、ギターとかがきれいだった)感じがして、すごくよかった。きれいな音楽を聴いたっていう気がする。

 

暑くて、シジミチョウがいたし、アカタテハがいたし、アゲハ蝶もいたけど、ちょっと撮っただけ。

夕べ、一つ書いたのを清書。短いやつで、まだ、完成じゃない。

 

兄は、夏休みの宿題も、すぐにやって遊んだけど、私は終わりになる頃必死に、いい加減にやったなぁ。学校があっても、宿題、兄はやってから遊びに行ったけど、私は寝る頃に「今日は宿題がある」と言いだしてみんなをゲンナリさせた。「早ように、言えよ」と父が常日頃から言ってたけど、できなかった☆

大きくなって母から聞いたけど、兄は夏休みの研究もちゃんと色々やって、父も手伝ってたらしい。全然知らなかった。私はたいがい雲の観察。だって、夏の空はあの頃毎日たいがい一緒だったから、後になってもいい加減に書けた。

前、お医者さんで「ひこさん」が、「よっちゃんは惜しかったの。よう気の付く子で雨が降るとお母さんの仕事場に傘持ってきての。いい子だったに」と言われて私はびっくりした。

私はそんなこと全然気にしたことがなかったし、兄がそういう人だったのも知らなかった。私が感じてたより根の優しい思いやりのある人だったんかな、と今になって思う。カンの鋭い人だとは思ったことがあるけど。ぶどうとかも、ひと房を半分こしたけど、兄は新聞や本を読んだりしてゆっくり食べるのに、私はちゃっちゃと食べてしまって、「お兄ちゃん、まんだ、ぶどうがあるに」なんて言って、そうすると兄が「はあ、食べちゃったの?これやるわ」とくれた。卑しい私だったな☆

ひこさんも亡くなった。ビックリしたけど、転んだりするのは年を取るとよくないから気をつけないと、と思った。

 

もうすぐ秋。母と兄と三人、組の人達と長野へぶどう狩りに行ったのを思い出す。朝早くに出て行って、長野の・・・どこだったかな・・・塩尻だ!塩尻の釜飯しの駅弁を兄がすごく楽しみにしてたのを思い出す。私も楽しみにしてた。食べちゃった後の入れ物の小さな「釜」を持って帰ってきたものだった。

あの頃はここも子供天国だった。昼間は大人は男も女もみーんな工場でいなくて、夏休みや…そういうときは町中子供だけになった。年の上の者がみんな面倒を見てくれて賑やかだった。ほんと、子供だけの世界だったのに。もう今は子供は探しても見つからないくらい。。。寂しい町になったな。

 

ぶどう狩り。父は大勢の人と一緒っていうのは、好きじゃなかったからお留守番。

あっちにつくと、おいしいお漬物を出してもらって食べた。ぶどうを摘んで食べて、お土産にもぶどうを入れてそれは今の宅配みたいなので、後で送ってきた。

秋の一番の思い出。

 

今日散歩してて、道草ばっかりしてきたような・・・そういうのが楽しかった、今までのような気がした。

写真は2010年の9月21日、満月じゃないけど。もうすぐかな。ちょっと欠けたのかな。わかりません。置いていきたいと思います。

 

吾の道は道草の道十三夜

文は文なり

今日は、さらさらが聴けてうれしかった。

点と点も思い出深い。赤と緑の照明がきれいだったなぁ。

昨日は、少し原稿をいじったら頭が夜カンカンになってしまった。やっぱり、まだ無理だった。

台風は、雨をけっこう降らせた。

前に「私は文は人なりと思っていますが」と同じことを二人の恩師に言った所異口同音に少し違う言い方だったけど「文は文なり 人は人なりよ」と言われて、ああ、そうか、と思った。もちろん、文は人なり、の人も少しだけどいる。間違いない。でもそう単純に思い込んじゃダメなんだな。すごいなぁ。先生達は・・・と思って、お二人は確かに「文は人なり」の方々だと思った。

私もできたらそうありたい。正直でいたいと思う。たかがそれ、だけど、されどそれ、が人かな、と思うので。

 

父が新聞を読んでくれ、と言った事が何度もあった。私が声に出して読み始めるとぷっと噴出して「ちょっと待て、今、何て読んだ?」と漢字の読み違いに大笑いした。そして、「お前はな、人の前で声に出して物を読むなよ」と言った。大笑いだった。今でも読めない漢字が一杯あって、まごまごする。少しは勉強しないとな。

 

ルミックスのSDカードがいつの間にか抜けてしまっていた・・・探したけど見つからなかった。。。また、明日、森を探してみよう。でもきっと見つからない。

 

松岡政則さんから詩集を頂いた、まだ、拝読できない。早く暑さが去ってほしい。

暑さは一時期より湿気がきつく、むっとしている。私は息苦しい。

 

昨日、少し書いたのを今夜置いていこう。

 

望月は欠けしゆえ愛し汝も知るや

 

秋の雨音だけ聞かせ目を閉ざす

 

煙りつつ降る秋の雨吾を連れて

 

露草を咲かせ給いし涼し雨

 

露草や汝の青は小さき天に見ゆ

 

言の葉は少なきを選べ星月夜

 

兄逝きて残せし児らへ秋駆ける

 

「カエルさん、鳴きよいでる」と言いし兄

 

言い知れぬ不安過れる秋の夜

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夏に一回森で見たけど。あれから見なかった。こんな露草は見られないけど、露草が2・3咲き始めた。昨日、見たけど、今日はもうなかった。

これに雨の雫が乗ってた。可愛い花。

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ムーンリバー

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月が段々丸くなってきた。

兄が二十歳の時に胃潰瘍になって薬で治せるところを焦って手術すると勝手に決めてしまった。父は怒ったけど、「がんになるかもしれんって言われた」と聞いて一緒に頑張った。

まだ医学が今ほどじゃなかったので、すごくつらい術後になった。

母は心配から眠れなくなって、風邪をひいてしまった。父は母に寝んと看病ができんで、と言ったけど、眠れないものは仕方ない。

私は両親がそろっていたせいか、まだ、子供だったのか(高校卒業の時だった)案外寝られたので、父の助けになったかもしれない。ナースコールもなかった思い出で、何かあると、私が走って看護婦さんを呼びに行った。

母は兄の隣のベッドで寝てた。移ると困ると思ったが、先生が「点滴をしてるから、まず大丈夫」と言われた。私に移ると困るので、マスクを口と目とにして寝ていたが、看護婦さんに笑われた。

たくさん点滴が入ってもなかなか上手く「おしっこ」ができないので、看護婦さんにとってもらうのが恥ずかしくてイヤだった兄は「腹がポンポンでえらいで、点滴を取ってくれ」と言った。取ったかどうか覚えてないが、すごく苦しそうで可哀想だった。

そういえば、手術室から手術が終わって運ばれて来て、高校の恩師も来ておられたが「見ているのがつらい」と帰られた。

私は、兄の手を握っていた。まだ、麻酔が効いていると思ってたが、手術室から帰って来てほどなく兄の手がもぞもぞ動いたので、はっとした。「お兄ちゃん、何か言っとるの?お父ちゃん、お兄ちゃんの指が何か動いとるよ」と言った。兄の顔が少し動いて私は兄の手が何を言っているのか感じ取ろうとした。

わかった、「今、何時か?」と聞いてたのだった。話では次の日が一番苦しいと言われてたので、なるべく長く麻酔が効いてるといい、とみんなで話たのだった。

でも、兄はすぐに目覚めてしまった。感の高い人だったので、効きが悪かったのかもしれない。私は、可哀そうだけど、手術中でなくてよかった、と思った。

夕方だったような記憶だ。兄に告げたら心からがっかりしたようだった。

苦しい苦しい一週間だったと思う。弱音を吐く人じゃなかったけど、あの時だけは違った。父が「自分で決めたことじゃないか」と言ったけど、可哀想だった。

 

少し時間が経ったけど、当時は付き添いがいつまでいてもよかった。病室は一室、ウチで借り切るみたいにできた。父と母とが交代で付き添ったけど、私が卒業式を終えて暇になったので、仕事がある両親から私へ交代した。

 

夜になるとAMのラジオ放送が楽しみで深夜まで一緒に聴いた。

北海道の放送局が、電波の関係で入った時「ムーンリバー」が流れた。

兄が私に「どんな風景を思い浮かべるや?」と聞いたので、「月があって下にきれいな川が流れとって」とまるきり普通のことを言った。そしたら兄も「そうやな。俺も一緒だ」と言った。兄は、輸血の為に血清肝炎を患って入院が長引いたが、かえってそれが幸いしたと思う。

早く大学に戻って、と焦るより療養できたので。

それでも、大学に戻って、ダブらなくてもよかったはずだけど、兄は「ウザワ先生のゼミに入りたいから」と一年留年することにした。成績が良くないと入れない、と言っていた。それも、よかった。両親の庇護の下、大好きな自転車に乗って少しずつ体力を回復させていった。

なつかしい。

栗が熟せずに虫食いで道に点々と落ちていた。昨日のやつだ。

今日は、台風20号が来て雨だったから。

昨日は、ルリシジミもいた。山の中に。ウチの庭にベニシジミもいた。

シジミチョウもセセリチョウ同様可愛い。

台風のせいで蒸し暑い、すごく堪える。

昨日、原稿の依頼があった。嬉しいけど、まだまだ仕上げれない。原稿締切はまだなので、大丈夫。

この頃、ゴリラのココを思い出す。手話で話もできて死の概念も持っていたらしい。

「死ぬとは?」の問いに「苦労がなくなり穴に入って眠るだけ」と。

ゴリラも苦労があったんだなぁ。手話を教え一緒に暮らした方はさぞお辛かったと思う。40歳くらいだったから。

もう一回、ゴリラと一緒にというわけにいかなかっただろうから。

すごいなぁ、ココちゃん、安らかに、と思える夜です。

 

 

権力を持ちし日から負け月の夜

 

風の音別世界見ゆ野分かな

 

虫食いの栗落ちし道歩き行く

 

ムーンリバー兄と聴きし夜なつかしき

ぎょっとした日

噂は聞いてたが、これはないいだろう・・・と呆れた。

「お前たちの心を折ってやると言われんばかりの事を経験した今日」という苦しい心情を吐露されるツィートがあった。

祭り上げられた人より、責められ耐える人達の方を応援しようと思った。

 

スペアミントセセリチョウが来てた。セセリチョウは可愛い。

 

今日も暑かった。昨日の蝉がらも置いていきます。

 

ぎょっとして虫飛び跳ねる星月夜

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あったことは忘れやすい

今日も暑かった。裏庭の藤の葉で、セミが羽化したらしく蝉がらが残っていた。

写真を撮ったけど、まだ入力できない。

昨日のアゲハはナミアゲハかな。虫の写っていたのをもう一枚。

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私はかなりバテてます。

 

三井さんの「仕事」という詩。私が入ってすぐの号の載ってたけど、詩集には入らなかった。生前、大好きだけど、載ってる号だけなくしてしまったので、お送りください、って言ったら「わかったよ」と言われたけど、結局送って来なかった。お忙しかったからなぁ。

 

書き留めておきたい。

 

あったことは忘れやすい

風のようなので

光のようなので

かなしく忘れる

 

この一連だけしっかり覚えている。

 

最後が

 

ゆめまぼろしというは

いと易すけれど

 

だった記憶。もう20年以上前になるけど。

「あんたともう一回会いたいな」と電話で言ってくださった。

大恩人で、天才の三井葉子さん。一杯お話して楽しかったな。

私ももう一回お会いしたかった。

最初の入院の時に、一冊詩集ができる分の詩を書かれたとおっしゃっていた。

私の下手な俳句に「それは、あかん」とおっしゃるに違いない。

三井さん、これは夏を凌ぐ一手です。

 

あ~桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ(釈ちょう空)にならないといいけど。三井さんが「あんたはいいけど、骨が細い。骨の太いもんを見習いなさい。わかるか」とおっしゃり「骨の太いのは政治家やで」とおっしゃった。

なかなかそんな人達のようにはいかないけど、苦しい立場もあると思える。

 

空蝉に斜め厳しき陽の照りぬ

 

あのひとの傷を癒せよ星月夜

 

願い持ち一心に走れ流れ星

 

秋の雲やわらかき笑み浮かびおり

 

涼しげな顔を見せつつ深みあり